「空」のごとき自由無碍な心を育みます
何ごとにもとらわれず
無心に生きることができますように
何ごとにもとらわれず
無心に生きることができますように
「空」は、私たちのこだわりを超えて、無心にどこまでも広がってゆきます。区分けだらけで窮屈になっている人間世界を超然として受けとめているのです。
「空」を見上げると、心がすっきりするのはなぜでしょう。「空」は、ものごとを区分けし、そこに固着する意識の底を抜いて、もっと広い世界があることを私たちに教えてくれるからです。限りない広がりが、本当のいのちをもう1度見つめるように呼びかけてくれるのです。
様々な違い、変化、動揺にこだわることなく、惑わされることなく、それらを超えて大切な1つのいのちに目覚めている心──。それは、「空の心」の大切な一面です。
「空」を見上げると、心がすっきりするのはなぜでしょう。「空」は、ものごとを区分けし、そこに固着する意識の底を抜いて、もっと広い世界があることを私たちに教えてくれるからです。限りない広がりが、本当のいのちをもう1度見つめるように呼びかけてくれるのです。
様々な違い、変化、動揺にこだわることなく、惑わされることなく、それらを超えて大切な1つのいのちに目覚めている心──。それは、「空の心」の大切な一面です。
vol.1
「空の心」を育むエクササイズ
1
「空の心」が身体全体に広がってゆくことをイメージする
私たちをいつも見守っている、限りない「空」を眺めて、自分がその下にある地上のごく一画に立っていることを想う。そのような「空」をイメージし、「空」になった自分を思い描く。そして、こだわりのない自由な「空の心」に想いを馳せ、その「空の心」が身体全体に広がってゆくことを念じる。
瞑想とは
2
「自分には不足がある」 という前提──「愚かさの自覚」を抱いて歩む
「自分には不足がある」という前提──「愚かさの自覚」を心に刻んで、現実に向かい合う。どれほど「自分が正しい」と思っていても、あるいは「そのこだわりは譲れない」と感じていても、「自分には見えていないこと、気づいていないことがあるかもしれない」と考えてみることによって、私たちは、自分が抱えているこだわりの心を超えるきっかけをつかむことができる。
3
感情の「調御」に取り組む
強いわだかまりや怒りや責めの感情が湧いたとき、「ちょっと待て」と自らを見つめ、その気持ちと対話して、決めつけたり、暴発させたりすることなく調整する。