「観音」のごとき慈悲の心を育みます
人々の苦しみを引き受け
その仏性を守るために
人々の苦しみを引き受け
その仏性を守るために
「観音」とは、「観音菩薩」のこと――。自らは悟りに達しているにもかかわらず、それを横に置いて、衆生の救いのためにはたらく菩薩です。どこにどのような苦悩を抱えた人々がいて、どのような助けを求めているのかがわかり、1人ひとりの心の声=音を観るかのように受けとめて、それに応えることができる存在です。
「観音の心」は、人々の様々な困苦とそこからの救いを求める想いにまっすぐに応えようとする心であり、慈悲の心の菩提心です。「慈」とは、相手を包み込み、慈しむ温かな心。「悲」とは、相手の悲しみや苦しみを全身全霊で受けとめて、共に悲しみ、それを癒やそうとする「抜苦与楽」(ばっくよらく)の心にほかなりません。
「観音の心」は、人々の様々な困苦とそこからの救いを求める想いにまっすぐに応えようとする心であり、慈悲の心の菩提心です。「慈」とは、相手を包み込み、慈しむ温かな心。「悲」とは、相手の悲しみや苦しみを全身全霊で受けとめて、共に悲しみ、それを癒やそうとする「抜苦与楽」(ばっくよらく)の心にほかなりません。
vol.1
「観音の心」を育むエクササイズ
1
「観音の心」が身体全体に広がってゆくことをイメージする
痛みを抱える、どのような人々の声も受けとめる観音菩薩の姿を心にイメージし、「観音」になった自分を思い描く。そして、慈悲に満ちた「観音の心」に想いを馳せ、その「観音の心」が身体全体に広がってゆくことを念じる。
瞑想とは
2
相手の立場に立って考え、世界を立体的に捉え直す
衆生の側に立つ観音菩薩にならって、「その人の立場に立って考える」というささやかな一歩から始める。相手が、他の人が、どのような気持ちでその事態を受けとめているのか、何を望み、何を願っているのか、何を恐れ、何を心配しているのかに想いを馳せてみる。そして、複数の視点から現実を見つめ、世界を立体的に捉え直してゆく。
3
自分にできることを尽くす
その人の立場に立って考えたなら、次に、「自分にできることに尽くす」こと(思いやり)。すなわち、相手の立場に立つことによって見えてきた事態に対し、「自分には何ができるだろう」と考え、そのことに心を尽くす。